母の反省

 

 私の反省その1。

それは娘の試験の問題用紙をじっくりと見ていなかった事。

恥ずかしながら初めて娘のテスト問題用紙をじっくり見たのは、昨年の年末休暇に入った頃でした。

仕事を言い訳に、テストのやり直しを子供だけにやらせ、終わったら良しとする母親でした。
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年末にやっと時間が取れ、娘の横で過去の理科の問題用紙を見たとき気付きました。

は?これ知識がなくても常識で解ける問題だ!
条件を自分で表にしたり、グラフを書けばおのずと答えが出るというもの・・

しかし、娘はそういう作業をやった形跡がない。
適当に答えを書いていた・・

で娘に聞いてみました。
「どうしてこれ表を書かなかったの?」

娘「だって面倒くさかったから」
母「・・・・」

12月も終わりの6年生でもこんな事を平気で言います。

色々説教したい気持ちをグッと抑え、条件をまとめ、表やグラフを一緒に書いていたみました。

そしたら、
「あ!これ解る」となり、結局大問一つまるまる正解し25点アップしたのです。

もしかしてと思って算数の問題を見ても案の定、図を全然書いてませんでした。
書き方が分からないのではありません。書きたくないのです。

長い文章の問題は問題見ただけでパス。
あの兄弟二人で別々にスタートして、途中で弟が忘れ物に気付き取りに帰って兄に追いつく問題ですよ。

線を中心にくるっと一回転する図形の体積や面積を求める問題もパス。

図を書かせてみると「あ!判った」となる事の連続で、算数も30点位は簡単にアップしました。

うちの娘の場合、知識よりも精神論から入らないなければいけなかったと反省。
面倒がらずに、手を動かせと。

過去問解かせている時も、あることに気付きました。

国語から最初に始めることが多かったのですが、国語の出来が良かった時はおおむね他の科目も良く、国語の出来が悪かった時は他の科目も悪いという事。

最初は問題の得意、不得意かと思っていました。
確かに国語はそうでした。
物語文や詩は得意だけど、随筆や説明文は苦手。

で、国語の試験やっているとき、物語文だと時間一杯ギリギリまで取り組みますが、説明文の時はあきらかに集中しておらず、あと何分あるか聞いてきます。

そして、その後の科目もいい加減に取り組み時間を余らせて、もう終わっていいかと聞くのです。
国語が良かった時は、最後の科目まで時間一杯取り組みます。

つまり気分の問題。ノリで試験を受けていたのです。

日能研の模試でも同様にやっていたとの事。
「寝てても誰も注意しないし」だそうです。

そんな事させる為にお金払ってるんじゃないんですけど・・
しかし、もう1月受験は目前。

1科目目で失敗しても2科目目からでも挽回のチャンスはある事。
長い文章問題は皆読みたくない。でもそこを頑張って読み図を書き正しい計算が出来るかを見ていること。
最後の受験科目の最後の大問題に長い文章題をもって来るのは、疲れていても最後まで諦めず根気強く問題に取り組む生徒を取りたいという意図がある事。

そういう取り組む姿勢を伝えました。
最後まで諦めないという事。

この時、少し理解してくれた様ですが、時期的には遅かったですね。
せめて6年になる前に気付いてあげていれば状況は変わっていたかもしれません。